介護のお仕事(デイサービス編)
管理人はデイサービス(通所介護)とヘルパー(訪問介護)の二つの介護職の経験があります。どちらもネタは豊富にあるのですが、今日はデイザービスに焦点を当てて書きたいと思います。
ピアノ仲間さんにはケアマネージャーという介護の専門職の方もいらっしゃいます。
この仕事に興味がある方に「介護の仕事どう?」と質問されることがたまーにあるため、今回は専門的な目線からではなく、「介護って実際はこんな感じ~」とイメージをお伝えできるような内容にしたいと思います。
下の写真はたしか桜を見に行った時の写真です。若いなぁ。10年くらい前でしょうか。
介護の仕事自体はとてもやりがいがあり、利用者さんとお話したり外出するのはとても楽しかったです。
とあるご縁がキッカケで、志村けんさんの地元でもある東村山市にある通所介護、いわゆるデイサービスの施設長とお知り合いになったことから、ボランティアでコンサートをさせていただいていたのがきっかけでした。
その施設には電子ピアノとエレクトーンがあり、たまたまエレクトーンは管理人が持っている機種と同じシリーズだったので操作することができるものでした。
電子ピアノ・エレクトーンにフルートをプラスして月1~2回、趣向を凝らしてあれこれミニコンサートをやらせていただいていました。
フルートを吹く時はエレクトーンのフロッピー(時代を感じますねw)に自分で伴奏を録音し、自動再生しながらフルートを吹いたり、日によってはピアノだけにしたり、はたまた歌の方と共演で演奏したり。
ボランティア演奏を続けて約1年くらいしたころ、介護職員が足りないので働いてみない?と施設長に突然声をかけられました。
介護についてはまっっったく知識も経験もないのですごーく悩みましたが、これも何かのご縁かと思い、ちょうどプラベートで色々あって仕事もびっちりできない時期でもあったので
「週3くらいなら」
ということで、ボランティア演奏者を経て介護職員としてデビューすることになったのでした。
★デイサービスの一日★
・送迎
・バイタルチェック
・リハビリ体操、もしくは外出。この間に入浴の方は入浴介助。
・昼食
・まったりタイム
・午後のクラブ活動(音楽や手芸・卓球など)
・土曜の午後は毎週ミニコンサート(ここでボランティア演奏していました)
・おやつ
・送迎
管理人の施設ではこのような毎日でした。
そうそう、土曜のコンサートでボランティアの方が見つからない時は、管理人がピンチヒッターでやっていたのですが、お昼の食事介助のあと急いでドレスに着替えてコンサートをし、終わったらまた急いで動きやすい服に戻っておやつと送迎、という慌ただしい時もありましたよ(笑)
それはそれで面白かったですが♪
デイサービスは介護資格がいらないため、管理人は入ってすぐ、未経験のまま身体介護をやることになりました。
もともとボランティアで通っていた施設なので、働いている職員のみんなが顔見知りだったのは心強かったです。
が、とにかく介護の「か」の字も知らない管理人。
始めのうちは利用者さんと話すことも慣れず(大抵耳が遠いので、耳元で大きな声でゆっくり話します)午後のクラブ活動で「音楽クラブ」を任せていただきその時だけ仕事できてるなぁと実感がありました。
音楽療法なども取り入れた音楽クラブをやったりしながらなんとか自分の居場所を作っていた感じです(国家資格の音楽療法士の資格はありませんが、母校の音楽療法講座に何度か通いある程度の知識と実技は身に付けました)。
しかしそんなボランティアの延長ばっかりしているわけにもいかず、少しずつ歩行介助や入浴介助、車で利用者さんの家まで送迎をやるといった本格的な介護職員として仕事をしていくことになったのです。
この送迎がなかなかクセモノ。
送迎をするように言われた時、運転には多少の自信があった管理人(管理人の自己紹介にも書いてありますが、かなりの車好きです)。
送迎?そんなんへっちゃら~と思ったのが苦労の始まり。
まず運転するのが
ハイエース
という車だったんですけど、介護車両用に改装されていて、天井が高く車椅子でそのまま乗れるリフトが付いているものでした。
まずこのリフトに安全に乗せなくてはならないという壁がありました。
それまで車椅子なんてロクに押したこともない管理人。
押し方を一歩間違えればお年寄りの命にかかわります。
そして8人乗りという大人数を乗せるプレッシャーに加え車椅子のリフト操作を安全にしなくてはならない責任感、もちろん自分の足で乗り降りできる利用者さんの身体介助も必要でした。
オマケにキツかったのが全く土地勘のない「東村山」だったこと。
責任者の方が地図上で道を教えてくれるのですが
「鷹の道が~」
とか
「●●道路を~」
とか、地元の人特有の呼び方で教えてくれるものでチンプンカンプン。
時間に余裕があれば、実際に運転しながら道順を教えてくれるのですが、その頃は究極に人手が足りず(だからこそド素人の管理人にすら声がかかったわけです)、設置されていたナビの性能も泣くほど悪かったので、分刻みの送迎スケジュールをこなすには自分のスマホのグーグルマップを頼りに各家庭に行くしかありませんでした(お陰様で半年後には当時の地元武蔵村山より、よほど裏道も詳しくなりました)。
入って2ヶ月後くらいでしょうか、このあたりで危機感を感じた管理人。
このままではきっと仕事中になんらかの大きなミスをして事故が起きる!ちゃんと介護の基礎を教わって身に付けなくては!と言っても今の職場は人手が無さすぎて絶対ムリ!どうしよ💦
と追い立てられるような気持ちになり、自費で立川にあるニチイ学館の、ヘルパーと障害者の介護の資格が取れる講座に通うことにしました。
実務経験が半年以上あれば実技講座は免除になるのですが、それまで待てない!危ない!と思って、たしか2-3か月目から講座に通うことにした記憶があります。
研修に通いながらも仕事では第二の関門入浴介助を必死でやっていましたね。
↑実際はこんな穏やかに入ってくれる方ばかりではありません。
大体みなさんお風呂を嫌がるので、どうやってお風呂場に連れて行くか、どうやって服を脱がせてお風呂に入れるか、毎回戦いでした。
認知症のおじいちゃんで気性が荒い方がいて、服を脱がせようとしてグーで殴られたこともたびたびありました(さすがに顔ではなく腕を殴ってきましたけどw)
入浴介助をやらない日は、椅子に座ったままできるリハビリ体操のインストラクターもどきをすることもありました。
そんな日々を送りながらニチイの講座を始めて3か月後、なんとか無事に資格を取れました!👏
講座は大変だったけど、終わった後はだいぶ自信が付き、研修自体もそれなりに楽しいことが多かったです。
常に人手不足の介護業界。何より資格(ヘルパー→介護福祉士・社会福祉士→ケアマネージャー等々他にもいろいろあります)を取っていかないと昇格も昇級もあまり期待できないので厳しい世界ではあります。
加えて肉体労働、施設によっては夜勤あり。送迎で事故のリスクもある。
苦労話ばかり書いてしまいましたが、介護は確実に「人の役に立っている」「必要とされている」という実感を得られるため、自己肯定感が低い管理人のような人にはオススメの仕事だと思います。
それに純粋にお年寄りと過ごす毎日は穏やかで楽しくもありました(実際退職の時の挨拶では大号泣してしまうほど)。
管理人は結局始めて1年くらいした時にプライベートで激変があったので、フルタイムで長く働ける事務職をということでOLに転職してしまいましたが、もし今後会社が倒産したり給与が激減した場合、小熟女パブ(いやもう熟女パブでないと雇ってもらえないか!?)で働くことを考えていましたが、この選択肢以外に介護職があると思うと、なんとなく生きていけるかな~という保険みたいな逃げ道みたいな安心感が少しあります。
本当はそうなったら音楽の仕事に戻りたいですが、いきなり定収入を得るのは難しい業界ですからね…。
冒頭に書いた訪問介護もネタの宝庫。いずれのブログでご紹介することにして今日のブログはここまでにしたいと思います(๑・̑◡・̑๑)
それでは次回の更新まで、ごきげんよう!
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